プロフィール
著者(PN):
月下香治
(かすか・よしはる)
Yoshiharu Kasuka

メール
y-kasuka@jewelryeyes.net


2005年11月16日

2006年3月15日



2006年2月12日(日)

人工言語プロジェクト

 前回の更新から約3ヶ月が経ちました。さらに更新頻度が落ちています。書くべき材料がなかなか見つからない、いや、むしろ多すぎるほどあるけれども時節と関係ないので日記で書こうとする意欲に結び付かないのですが、2月12日が私の愛するセリオさんの誕生日ということを記念して、奮起して更新することにします。
 この間、ROSESダーツ大会の1年目が終了し、2年目が開始しました。
 2005年10月大会で月間トップに立ってチャンピオン大会出場資格を獲得し、年間成績でも1位をほぼ確実にした私ガルマ・ザビの目標は、月平均400点の記録になりました。10月大会までで合計3915点取ってきましたので、あと2ヶ月で885点、平均約450点取ればよいことになります。
 一選手である私が気を遣うことでもないのですが、チャンピオン大会の出場者を多くする、月間トップを他の選手に譲るには、私自身の成績を低く抑えなければなりません。しかし、低くしすぎると挽回するために高得点を取らなければならなくなりますので、結局は11月・12月ともに450点前後を狙うことになります。意図的に得点を調整する能力があるわけでもないのに、そんなことばかり考えていました。
 そうして迎えた11月大会、『GUNS BAR ROSES』周辺では風邪が流行っていました。私も直前に思い付きで外出して風邪を拾ってしまい、熱気味でした。私も他の選手も惨憺たる結果だったため、「結果に満足できない場合は、参加者全員の合意が得られればキャンセルすることができる」という臨時ルールが作られました。この臨時ルールの下でキャンセルしつづけた末、若干調子を取り戻した3日目になんとか406点を得点することができました。
 この時点で合計4321点。月平均400点を取るためには12月大会で479点以上を取らなければなりません。トップを譲るなどと悠長なことを言っていられなくなりましたが、体調などを考えると確実に取れるとも言えなくなってきました。
 年末にチャンピオン大会が開かれるため、12月大会は早めの中旬に開催されることになりました。私は早々に挑戦し、443点を得点しました。臨時ルールはまだ有効でしたが、もう一度挑戦してもこれ以上の得点が取れる確証がありませんでしたので、これで確定させることにしました。
 この結果、年間成績4764点、月平均397点で、惜しくも400点には届きませんでした。2006年の課題は体調管理ということになりそうです。
 ちなみにチャンピオン大会は「スリーインワン」によるトーナメント。私は1回戦で敗退しました。年間トップの賞品は頂けました。
 明けて2006年のダーツ大会は、ルールが若干変更されました。各選手2回まで挑戦することができ、そのうちの高いほうの得点をその月の得点とすることになったのです。一回勝負に比べて、だいぶ気が楽になりました。
 1月大会では、私が参加する前にすでにザビ家長兄ギレン・ザビが568点などという大記録を打ち立てていました。私は2005年に大目標を達成していますので、今年は12回中1回程度月間トップを取りつつ、勝負にこだわらずに高得点を目指していけばよかろうといった心構えで臨んだところ、思いもよらず533点も取れてしまいました。こうすれば19のトリプルに入るというのがわかるという感覚は気持ちのいいものです。5回も入りましたよ。
 始めから大記録を立てられては面白くないということで、キャプテンシャア・アズナブルが他の選手にふたりを倒すよう発破をかけつづけたにもかかわらず、結局他の41人の選手はふたりには届かず、ギレン・ザビが1位、ガルマ・ザビが2位で確定しました。この調子で行けば、去年果たせなかった月平均400点も手中に収めることができるかもしれません。
 さて、前回の記事で、「ホフスタッター・コンウェイの10,000ドル数列Hofstadter-Conway 10,000-dollar sequence)」a[n] の基本性質のひとつである、「a[n]/n が 1/2 に収束する」という命題の証明に近付きつつあると述べましたが、実はあれからまったく進展していません。
 「a[n]/n が n→∞で 1/2 に収束する」ということを証明するためには、c[n] を「パスカルの三角形の中央の列とその左隣の列の数を上から順に加算して、さらに1を加算した」数列A072100とするとき、「c[t]/(2^t) が t→∞で0に収束する」ということを証明すればよいということはわかっています。しかし、ネット上のどこを調べても c[t]/(2^t) が収束するとの記述は存在せず、むしろ、収束するか発散するかの瀬戸際にある数列が持つ性質を備えているかのようなことを匂わせる記述さえあります。コンウェイがベル研究所の講話で証明した方法はこれではなかったのかもしれません。
 ということで、現在の私の興味は他の分野に移ってまいりました。やり散らかして放置するのは悪い癖だとわかっているのですが、これもクリエーターの性です。現在私の興味を惹き付けている分野は、「人工言語」です。
 「人工言語」とは、「一般の言語(自然言語)と同等に状況を記述する能力を備えた、少数の人間によって意図的に創出されたシステム」を言います。エスペラントなどがその代表例です。人工的に創られた「人工文字」というものもあります。その創出過程がすべて判明しているハングルなども人工文字とも言えるかもしれませんが、その国家・民族の言語を代表する文字システムは人工文字とは言わないことになっています。
 欧米には数百人の「人工言語作家」が存在して、ホームページ上にその「作品」を公開したりもしています。それに比べて日本ではごくごく少数、数え上げても片手が寂しいほどの作家しか見当たりません。
 ヨーロッパでは多くの民族が混在し、時に激しい対立を繰り返す中、共通の言語で意思の疎通を図ることが長年のひとつの悲願でもありました。実際には死語になったラテン語をヨーロッパ共通の教養として学習していましたし、世界初の本格的な人工言語であり、国際補助言語としての機能も十分に備えたエスペラントも創り出されました。このエスペラントの成功を見て、意欲あるクリエーターが自らも人工言語の創出に乗り出しています。「人工言語作家」が生み出される素地が欧米にはあるのです。
 一方日本では、その国土のほぼ全域を単一民族が占め、日本語さえ習得していれば十分に事足ります。自らの言語について個別的な知識を蓄えて直感的な理解に達すればよいとし、中等教育で学習させられる英語の文法と同様に、自らの言語の文法も無駄に学ばされるものとして忌避する雰囲気が支配的な中、その文法の知識を応用して「作品」を創り出すことができるなどとは思いも寄らないのでしょう。
 旧宗主国の言語を用いなければ高等教育も満足に受けられない国家・地域も現に多く存在するこの世界にあって、日本のこの現状は幸福と言わざるを得ません。しかし、単一の言語を使用することによって、「他の可能性」に思いを致せず、硬直した観念を抱いていることに気付くこともできなくなっているこの状況を、はたして全面的に幸福と言えるのでしょうか。
 言語に対する思い込みを排除すること、これが人工言語を創出する目的のひとつです。ソシュールの言う「言語の恣意性」が支配する中、どれだけの説得力を持ってその文字・発音・語形をその概念に適用するかということが、人工言語作家には問われているのです。
 人工言語作家といえども、まるっきり無からひとつの言語を組み上げるのは相当に骨の折れる仕事です。多くの場合、自言語や他言語の共通点や差異を基にしてある程度の枠組みを作り、その枠組みに従って単語を充填していくことによって言語を作っていきます。中北部ヨーロッパの言語を基にしてゲルマン祖語に似た人工言語を作っている作家もいます。南部ヨーロッパの言語を基にして、フランス・スペイン・イタリアはもとより、世界中で使える補助言語を作ろうとする動きもあります。
 人工言語の有り様は、基にした言語や、その創出の目的などによって様々です。ただ、その「作品」としての質もまた様々というより他ありません。
 動詞が人称変化をしないということを画期的と言わんばかりに自慢している作家がけっこういます。そんなことは日本語では当たり前です。中国語では時制によっても変化しないと知ったら、彼らはどれほどびっくりするでしょうか。
 一方で、代名詞を人称・性・数で分類して満足している作家もまた多くいます。日本語ではさらに場面や年齢・社会的地位などの社会言語学的差異によって細分されている上に、名前や称号を用いたり、時には省略するなど、複雑に運用されています。ヨーロッパ語を基にすればこのようになるのも致し方ないとも思えますが、実はポルトガル語も日本語と同じような性質を持っているのです。
 これは、人工言語作家でさえもヨーロッパ的な観念、というよりたまたま自らが置かれた立場によって与えられた固定観念から完全に脱却するのは困難だということの現れです。目的にもよりますが、ファンタジー世界の言語の文字を作るならば、「X」に対応する文字は不必要でしょう。彼らが日本語を学んでから人工言語を作ったとしたら、どんな言語ができたのでしょうか。
 私は外国人に対する日本語教育にも関心があって、ネット上の日本語質問掲示板もよく閲覧し、日本語に対する欧米人の意識を知ることもあります。特に欧米人の目には漢字が神秘的なものと映るようです。
 自分の名前を漢字で書いてくれと言う人がいます。もちろん日本語では外国人の名前はカタカナで書くのですが、「カンジ」という単語が日本の書字システムそのものの名称であると誤解している可能性もあります。日本では日本人・朝鮮人・中国人の名前のみ漢字で書き、その他の国の人はカタカナで書くと告げると、人種差別だと憤る向きもあったりします。
 タトゥーにするからこのフレーズを訳してくれと言う人もいます。考えに考えぬいて凝縮した詩的表現を他の言語の同程度の長さの表現に翻訳するのは非常に困難ですので、こういう質問は困り物なのですが、それよりなにより、わざわざネットで訊かなければわからないようなことを刺青にするのは非常に危険ですので、機会があるたびに私は思い留まるように忠告することにしています。
 中には真剣に日本語を学習している人もいますが、彼らのネックはやはり漢字のようです。有限のシステムであるひらがな・カタカナは気合いで覚えられても、その向こうに茫洋と広がる数千とも数万ともいわれる漢字をすべて覚えることを考えると学習に手がつかなくなるそうです。本当は全部一度に覚える必要はないのですが。
 漢字のひとつひとつを取っても謎があると言います。漢字に音読み・訓読みなど、複数の「発音」があることが理解できないと言う人がいます。音読み・訓読みを覚えたとしても、文中に出現したときにどの「発音」を適用して読めばいいのかわからないと言う人もいます。本当は「発音」というよりも、日本人にとっては「読み」であり、言語学的には「単語」であると理解できれば、単語を覚えていく通常の学習過程で十分に習得することができるのですが。
 漢字はもともと単音節無変化を旨とする中国語を専門に書き表すための文字でしたが、そのイメージ喚起力で周辺民族の言語を次々と取り入れ、ついには全くの異系統である日本語を書き表す文字の一部にもなりました。漢字が一見難解なのも、個々の漢字が辿ってきた歴史のパッケージと言えなくもありません。
 もしヨーロッパにも漢字のような文字システムがあったとしたら、どんな世界が広がっていたことでしょうか。
 ところで、私もまた人工言語や人工文字に興味を持っています。純粋に大和言葉だけで構成された言語や少数の助詞の他は二字熟語だけで構成された言語、ラテン語の語彙と英語の文法・発音をブレンドした言語などを構想していますが、世界と同等の広がりを持つ言語というものを構成するのはなかなか大変です。
 既存の言語に人口文字を作るのは、まだ楽な仕事です。現在私が構想しているのは、ヨーロッパ中の言語を横断的に書き表すことができる漢字のような表意文字です。私はそれを「欧州表意文字(European ideogram)」、略して「ユーログラム(Eurogram)」と呼んでいます。
 たとえば、竜・ドラゴンを表す単語は、英語・フランス語・スペイン語では"dragon"、ドイツ語では"Drache"、イタリア語では"drago"、ロシア語では"drakon"などと、似たような言葉で表します。古典語のラテン語やギリシア語でも、それぞれ"draco"・"drakon"と言いました。これは、それぞれの言語で同じ単語を語源としているためです。
 これらの単語の"drac-"とか"drag-"とかいう部分に [龍] という文字を適用するとします。この文字の後ろにそれぞれの言語で"-on"とか"-e"などの語尾を表す文字を付け加えれば、それぞれの言語でドラゴンを表す単語を書き表すことができるというわけです。
 また、「頁」という文字は人間の頭部を表した文字ですが、これをラテン語の"caput"(頭)の"cap-"という部分に適用するとします。この"caput"という単語は、ドイツ語の"Haupt"という語形を経て英語の"head"に変化したとされています。そこで、英語の"head"にも [頁] という文字を適用します。また、"caput"から派生した"capitalis"(主要な)という単語が、英語の"capital"になりました。つまり、英語では、[頁] という文字が単独で使用されていたら"head"と読み、その後ろに"-it-al"に相当する文字が続いていたら"cap-"、全体で"capital"と読むようにするのです。
 もちろん、すべての言語において同一の意味を持つ単語が同一の語源を持つわけではありませんし、ヨーロッパ語では語尾や、時には単語の内部までもが柔軟に変化しますので、数十もの言語を見渡しながらいちいち文字を当て嵌めていくというのは困難を極めることでしょう。しかし、この文字システムがある程度の形を成し、欧米人が自分たちの言語もまた表意文字で書き表しえることを知った暁には、日本語の漢字には複数の読みがあり、文脈によって使い分ける必要があるという事実もすんなりと受け入れてくれるようになるかもしれません。
 このユーログラム・プロジェクトを、できれば当サイト1周年の3月15日から当サイトで展開していきたいと思います。言語学は当コンソーシアムではREMWIN研究所の担当ですが、人工言語には遊びの要素が多分にありますので、『ジュエリーアイズ on the Web』のいずこかに掲載する予定です。
 この分野に関してはまだまだ述べてみたいことがいろいろとありますので、この記事が流れないうちにまた一度くらい書くかもしれません。「記事が流れないうちに」などと言いつづけながら、好きなキャラクターの誕生日にならなければ更新する意欲が湧かないというのも困り物ですが。好きなキャラクターの数を増やすというのもひとつの手かも。
 それでは、今回はこういうことで。


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