プロフィール
著者(PN):
月下香治
(かすか・よしはる)
Yoshiharu Kasuka

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y-kasuka@jewelryeyes.net


2013年5月10日

2013年9月15日



2013年5月17日(金)

日本語の動詞の活用形の個数 (10) 総括

 10回にわたって連載してきた本稿も、今回で最後になりました。ここまでの議論を振り返ってみましょう。
 日本語の動詞の活用形のうち、「単語」とみなされる総合的(synthetic)な部分には、インド・ヨーロッパ語族の古典語に匹敵する160個以上の形態があります。これらの活用形は、動詞の本体にという文法形式をこの順で適用することで生成されます。
 態(voice)は動詞が表す行為の行為者と主語が表す人物との関係、極(pole)は動詞が表す事態が実現した(する)か否か、時(time)は動詞が表す事態の舞台となる時刻と発話時点との前後関係、法(mood)は動詞が表す事態の文脈上の役割(あるいはそれへの話者の心理的態度)を表します。そして、それぞれの文法形式は基本的に4つずつ、詳しく分析すれば最大6つの区分を持ちます。
 本稿では、動詞は態変数(voice variable)・極変数(pole variable)・時変数(time variable)・法変数(mood variable)という4つの変数を持ち、それぞれの変数が対応する集合の要素を値として取ることによって活用形が生成されるとして、論を進めてきました。それぞれの集合は以下の通りです。
V = {(自発, 能動), (自発, 受動), (使役, 能動), (使役, 受動)} = {能動, 受動, 使役, 使役受動}
P = {肯定, (肯定否認), 丁寧, (丁寧否認), 否定, 願望}
T = {現在, 過去, 継起, (条件), (継起条件), 命令}
M = {終止, 意向, (推量), 仮定, 連用, (φ)}
(P, T, Mのカッコつきの要素は、特殊な値です)
 それぞれの活用形の名称は、態変数・極変数・時変数・法変数の値をこの順番で並べ(「自発/能動/肯定/現在/終止」は省略)、最後に「〜形」を付けたもの(すべて省略された場合は「辞書形」)とします。名称を持つ活用形は、1番の辞書形から160番の使役受動願望継起条件形まで、全部で160個になります。
 日本語の動詞の活用は、深層(depth)における形態を想定すると単純な体系になります。五段動詞の語尾の"-u"、一段動詞の語尾の"-ru"を除いたものを深層における基本形とし、自発・能動・肯定・現在以外の要素のそれぞれに対応する音列を語尾に追加し、若干の音韻変化を加えることによって活用形が完成します。
 以上で総括とします。詳しい内容はそれぞれの稿を参考にしてください。
 ところで、本稿の目的は、日本語を独学する外国人学習者が現実に出会う文例を誤解せずに解釈できるよう注意を喚起するために、いくつの活用形を辞書に掲載すべきかということを考察することでした。もちろん、160個の活用形をいちいち掲載するのは現実的ではありませんし、実際には使用頻度が極端に低いものも含まれています。
 一般的な英語の辞書には、不規則動詞の過去形と過去分詞が掲載されています。ドイツ語などの活用形が多い言語でも、一人称単数過去形と過去分詞(完了分詞)を含む2、3の活用形を代表として、不規則な場合は掲載しています。日本語の動詞も、辞書形・過去形・否定形の3つの形態がわかれば活用型が決定し、他の活用形を論理的に生成することができます。しかし、これだけでは、本稿の冒頭で例に挙げた動詞「いる」の意向形「いよう」を別語「異様」と誤解するようなことを防ぐことはできません。
 そこで、辞書形、および文法要素をひとつだけ適用した使役形・受動形・丁寧形・否定形・願望形・過去形・継起形・命令形・意向形・仮定形・連用形の計12個の活用形を「基本活用形(basic conjugations)」とし、これらの形態が不規則な場合、他の語や他の動詞の活用形と一致する場合、辞書式に配列して辞書形と著しく離れている場合は、その活用形も項目として個別に掲載することを提案いたします。文法要素がふたつ以上適用された場合はおそらく特徴的な語尾になるでしょうから、十分注意が喚起されるでしょうし、必要ならば語尾だけを項目として掲載してもいいでしょう。
 ただし、外国人学習者が出会う日本語の動詞の活用形は、ここまでの議論に登場した折り目正しいものばかりではありません。現実には方言形(dialectual form)や縮約形(contraction form)も多くあります。
 「折り目正しい」ものの中でも、本稿では活用形とはしなかったもののうち、現実には1語で綴られることが多いものがあります。「読みなさい(yominasai)」「読みながら(yominagara)」「読みつつ(yomitsutsu)」「読みそう(yomisou)」などです。禁止「読むな(yomu na)」も、詠嘆「読むな(yomu na)」との対比によって、場合によっては1語で綴られることがあります。「読みたがる(yomitagaru)」などは、動詞としてさらに活用します。
 古典語の活用形のうち、現代語でも残存的に使用されることがあるものには、「読まば(yomaba)」「読まむ(yomamu)」「読みて(yomite)」「読みし(yomishi)」「読みけり(yomikeri)」「読めど(yomedo)」などがあります。一段動詞が二段動詞として活用することもあります。「見る」は古典語から一段動詞でしたが、「読ませる」は「読まする(yomasuru)」という形態で現れることがあります。形容詞型語尾では、古典語の終止形「読みたし(yomitashi)」や連体形「読みたき(yomitaki)」という形態で現れることもあります。
 複数の要素が接触したときに、音が省略されて語形が短くなり、全体として1語として発音される現象を「縮約」といいます。日本語では話し言葉で縮約が多く発生し、前要素の最後の母音と後要素の最初の子音が省略されて、前要素の最後の子音と後要素の最初の母音が新たな音節を形成します(前要素の最後の母音が"e"、または"i"の場合は、半母音"y"が挿入される場合もあります)。前要素が継起形、後要素が「い」で始まる助動詞である場合は、"-e"でなく「い」のほうが省略されます。
 日本人がよく使用し、外国人が最も頻繁に出会う縮約形は、「読んでいる(yonde iru)」の縮約形「読んでる(yonde'ru)」です。その他に、「読んでく(yonde'ku)」「読んどく(yond'oku)」などもあります。アポストロフィが書かれていれば注意もできますが、実際は書かれていないことも多くあります。「読んじゃ(yonja)」「読んじゃう(yonjau)」などではヘボン式では子音が変化し、アポストロフィをどこに挿入すべきか見出しにくくなります。
 「読めば」「読まなければ」のような総合的な活用形も「読みゃ(yom'ya)」「読まなきゃ(yomanak'ya)」のように縮約されることがあります。特に「読みゃ」は語形がかなり短くなり、どの部分を語尾として抽出して辞書に項目として掲載すべきかを見出すのが困難です。
 「読もう」の長音が短縮し、「読も(yomo)」になることがあります。「見よう」の短縮形「見よ」は、命令形の異形と区別できません。逆に、「読んじゃ」が長音化し、「読んじゃあ(yonjaa)」になることもあります。これは、「読んでは」が縮約してもその語の長さを保とうとする「代償延長(compensatory lengthening)」という現象です。
 「読むのだ」は「読むんだ」と発音され、そのように書かれることがあります。終止形は続く要素とは分かち書きするのが規則ですが、「ん」が語頭にあるのは不自然ですので、"yomun'da"と綴るのが自然です。その他に「っ」で始まる助詞・接尾辞もあり、「読むって(yomu'tte)」「読むっぽい(yomu'ppoi)」などがあります。
 その言語の標準語・共通語とは異なる発音・語彙・文法を持つ部分的な体系を方言といいます。方言形には、「読まへん(yomahen)」のような地域言語ばかりではなく、「読みやがる(yomiyagaru)」などのような卑俗語も含まれます。共通語の縮約形も、標準語と対比すれば方言形の一種です。
 ぞんざいな場面では、語尾の"-ai"が融合して"-ee"となることがあり、「読まない」「読みたい」が「読まねえ(yomanee)」「読みてえ(yomitee)」になります。さらに長音が短縮し、「読まね(yomane)」「読みて(yomite)」になることがあります。「見てえ」の短縮形「見て」は、継起形と区別できません。
 「読まなくない」を"yomanaku nai"と分かち書きする根拠のひとつは、形容詞を否定する助詞「ない」が独自のアクセントグループを形成することです。しかし、現代の若者の中には、形容詞や形容詞型語尾の否定表現全体を平板的に発音し、しかも口が滑るのか、論理的に要請されるよりもひとつ多く「-ない」を重ねる(つまり、肯定否定が逆転する)話者がいます。その場合、「読まなくなくね?(yomanakunakune?)」を分かち書きする根拠が薄れ、日本語の動詞の活用形の個数が無限に発散する可能性も出てきます。
 方言形は多種多様であり、とても列挙などしきれるものではありません。学習者が方言形や縮約形に直面して困惑しているときは、指導者はその本来の形態から方言形を生成する規則とその逆を個別に教えていくより他ありません。微力ながら本稿がその参考になれば幸いです。
 さて、ここで本稿は終了します。次回からは通常の更新となりますが、ちょっと思い付いたことがありまして、変なことをしてしまいます。


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