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著者(PN):
月下香治
(かすか・よしはる)
Yoshiharu Kasuka

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2015年3月22日

2015年4月5日



2015年3月29日(日)

ユーロイデオグラムの簡略化 (3) ドイツ語の性質

 今回の稿から、漢字仮名交じり文を他言語に適用する方法を解説していきます。その例として今回考察する言語は、ドイツ語です。
 ドイツ語は、ドイツ・オーストリアの全域とスイスの大部分で使用されている言語で、これらの国家の公用語であり、1億人の話者人口を擁する、日本語に匹敵する大言語です。ドイツ語は地域による方言の差異が大きく、標準語とされているのはベルリンからボンに亘るドイツ中部の言語です。ドイツ北部やドイツ南部・オーストリア・スイスの日常言語はドイツ語の方言ではなくむしろ別言語とみなす説もあり、特にドイツ北部の言語は言語学的にはドイツ語よりもオランダ語に近縁です。
 それにしても、なぜ「英語」ではないのか。事実上の国際語である英語ならば、簡略化ユーロイデオグラムの提案に当たって強大な訴求力があったことでしょう。その利点を押してあえてドイツ語を選択したのは、他のヨーロッパの言語と比較して発音・文法・語彙の多方面に亘って、漢字仮名交じり文を適用するのに有利な性質がドイツ語にはあるからです。
 ドイツ語のどのような性質が漢字仮名交じり文を適用するのに有利なのか、発音・文法・語彙についてふたつずつ例を挙げていきます。
・単語の境界で音韻が相互作用して新たな音韻が生じることがない。
 英語等、世界の多くの言語では、子音で終わる語の直後に母音で始まる語が続いた場合、前の語の語末の子音が後の語の語頭にあるかのように発音される現象があります。アルファベットなどの音素文字で表記されている場合は空白を無視して発音すればいいのですが、仮名は音節文字ですので、単語ごとの表記と発音通りの表記とに大きな差が生じます。
 一方、ドイツ語では母音で始まる語の直前に声門の閉鎖があり、直前の語の語末の子音との結合を阻害するため、各語は個別に発音されます。そのため、この種の問題が発生しません。この性質が、ドイツ語を例として選択した最大の要因です。
 なお、ほとんどの語が母音で終わるイタリア語なども同様の性質を持ちます。一方で、リエゾンによって新たな子音が生じるフランス語では、さらに問題が大きくなります。
・音韻の数が比較的少ない。
 日本語は世界的に見て音韻の数が非常に少なく、仮名は音韻が少ないことを前提として成立しています。ドイツ語は英語と比較すれば音韻が若干少ない程度ですが、拗音の表記法を応用すれば仮名でも表記は可能です。
 一方、フランス語には鼻母音、ロシア語等のスラブ系言語には硬音・軟音の対立が存在し、区別すべきだけれども似たようにも表記すべき音韻の対が多くなります。これを無理に仮名で表記しようとすると、直感に反する不自然な表記法になる恐れがあります。
・適度な数の活用形がある。
 日本語の漢字仮名交じり文は、動詞の活用語尾を送り仮名として表記することによって確立してきました。ドイツ語を始めとするヨーロッパの言語の大部分にも、動詞に数十個の活用形があります。
 一方、英語は他のヨーロッパの言語と同様の屈折語ですが、活用語尾が著しく衰退し、中国語のような孤立語に近くなっています。動詞の過去形の "-ed"・現在分詞の "-ing"・三単現の "-s"、名詞の複数形の "-s"、形容詞の比較級の "-er"・最上級の "-est"、その他、行為者の "-er"・形容詞化の "-y"・副詞化の "-ly" 等、少数の活用語尾・接尾辞を表す漢字を確保できれば、英語を漢字仮名交じり文で表記する意義が少なくなります。
・省略形が比較的少ない。
 日本語にも省略形は存在しますが、大部分は活用語尾での省略ですので、表音的に表記してもさほど問題ありません。ドイツ語の省略形は前置詞と定冠詞との組み合わせで発生しますが、前置詞の活用語尾と解釈することも可能です。
 一方、フランス語やイタリア語では、母音で始まる名詞の直前で定冠詞や所有冠詞が1個の子音になって名詞に融合するという形態の省略形が存在します。アルファベットではアポストロフィによって語の境界を明示することができますが、仮名は子音+母音の組み合わせを表記するのか原則ですので、語の境界が埋没してしまいます。これは、辞書での検索の際に問題になります。
・複合語が多い。
 日本語の漢字に音読みと訓読みが存在するように、ユーロイデオグラムも1字が複数の語に対応しますが、同じ語種に属する語にはそれぞれ別個の文字を当てることを想定しています。一方で使用できる漢字は6000字余りであり、民衆の生活に根差し、豊富な語彙を擁する固有語を表記するには文字が不足するのではという懸念があります。
 ドイツ語では、他の言語では空白を挟んで複数の語で表現する複合語を1語で表現する表記上の慣習がありますが、他の言語ではひとつの形態素で表す概念を複数の既存の形態素の連続で表す例も多く存在します。結果として形態素の種類が少なくなり、文字を節約することができます。
・極端に短い語形の語がない。
 英語やイタリア語では単子音+短母音からなる1音節の冠詞や前置詞等が存在し、仮名で表記すると1字になります。これらの語は文法機能を担っているため、原則に従えば平仮名で表記することになりますが、語の境界を明示する等、他の目的によって漢字で表記しようとすると、送り仮名を確保することができません。
 ドイツ語の1音節の語は、子音で終わるか、母音で終わる場合は長母音・二重母音になります。仮名で表記すると2字以上になり、全ての語で送り仮名を確保することができます。
 なお、日本語にも平仮名で表記すると1字になる名詞は存在しますが、列挙する等の特殊な場合を除いて、名詞には必ず助詞・助動詞が後続し、送り仮名に相当する機能を担いますので、この性質は問題になりません(「見」等、1字になる動詞の活用形で問題になる場合はあります)。
 他にもいくつかの細かな性質が存在します。
 一方で、ドイツ語に漢字仮名交じり文に相当する表記法が自然に発生しなかった以上、漢字仮名交じり文を適用するのに有利でない性質が存在するのも当然です。ただし、これは他のヨーロッパの言語にも共通した性質です。発音・文法・語彙についてひとつずつ例を挙げていきます。
・"r" と "l" の区別がある。
 これは漢字仮名交じり文を適用するというよりも、日本語の文字を流用する際に問題となる性質です。
 日本語の仮名は、流音がひとつしかないことを前提として作られています。一方、ヨーロッパを含む世界の言語の多くは、"r" と "l" 等、流音をふたつ以上持っています。流音を含む語を仮名でどのように書き分けるかは、宿命的な問題です。
 一部の辞書では "r" と "l" の一方を片仮名で、他方を平仮名で表記することによって発音の区別を示していますが、この方法は平仮名と片仮名を文字集合として融合させることになり、漢字仮名交じり文には3種類の文字集合が必要だとする前稿の考察に反します。濁点や半濁点を付加したラ行の仮名を使用する辞書もありますが、日本語の文字を流用する(日本語で使用されない文字は使用しない)という方針に反します。
 この問題を回避するには、"r" と "l" の一方を拗音のように表記するか、他の行の仮名を流用する必要があります。
・文法機能を担う部分が語の前後に配置される。
 文法機能を担う部分、すなわち活用語尾・助詞・助動詞は、日本語では送り仮名のように平仮名で表記されます。日本語の漢字仮名交じり文では、漢字が連続する部分に平仮名が連続する部分が続くことによって、疑似的に分かち書きを代替しています。
 一方、ヨーロッパの言語でも活用語尾は語末に配置されるのに対し、日本語の助詞に相当する前置詞は語の前方に配置されます。これらを平仮名で表記すると、前の語の活用語尾と後の語に付属する前置詞の区別が付かなくなります。この問題を回避するには、語彙的な意味の乏しい前置詞も漢字で表記する必要があります。
 漢字仮名交じり文は完全な主要部終端型の言語である日本語に最適化された表記法なのです。ユーロイデオグラムが漢字仮名交じり文ではなく表意文字のみの表記を目指していたのは、この問題が念頭にあったからです。
・複数の意味素が融合した語がある。
 古代中国語には「一字一音一義」の原則があり、漢字1字で表現される意味内容は一種の意味素と考えられます。ただし、中国語は音節の種類が少なく、他の言語では語幹部分を1音節で表す概念も1音節(=漢字1字)では表しきれず、2字以上で表す場合があります。例として、指示代名詞があります。
 現代日本語では指示代名詞は一般的に平仮名で表記されますが、漢字で表記するならば「ここ」は「此処」、「そこ」は「其処」、「こちら」は「此方」などとなります。これらは中国語の表記そのものではありませんが、中国語にこれらの概念を1字で表す漢字が存在しなかったため、日本で改めて作られたものです。
 日本語はさらに音節の種類が少ないため、日本語の音節数(=平仮名の数)が中国語の音節数(=漢字の数)を下回ることはほとんどありません。これを基準とすると、1音節であることが多いヨーロッパの言語の指示代名詞の語幹に漢字2字を当てるのは不自然にも見えます。この問題に関しては、その不自然さを受容するか、滅多に使用されない漢字を掘り起こして形態素と同数の漢字を確保するかを選択する必要があります。
 このようにドイツ語には漢字仮名交じり文にとって不利な性質も存在しますが、有利な性質もけっこう存在します。簡略化ユーロイデオグラムを考察する対象の端緒として、ドイツ語は適した言語であると私は考えます。
 以上の考察を基にして、ドイツ語に漢字仮名交じり文を適用する規則を構築します。次回は、ドイツ語の音韻に仮名を適用する準備としてドイツ語の音韻論を概観します。


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