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著者(PN):
月下香治
(かすか・よしはる)
Yoshiharu Kasuka

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2015年3月29日

2015年4月12日



2015年4月5日(日)

ユーロイデオグラムの簡略化 (4) ドイツ語音韻論

 ドイツ語に日本語の平仮名・片仮名を適用するに当たり、ドイツ語の音韻論を概観したいと思います。日本語や英語との異同に重点を置いて解説していきます。
 なお、本稿では国際音声記号を使用しています。一部の環境では正常に表示されない可能性がありますので、その際はご容赦ください。ダブルコーテーションで囲まれているのが綴り字、角括弧で囲まれているのが国際音声記号です。その後の丸括弧で囲まれている片仮名は、日本語における近似した(必ずしも一致しているとは限らない)発音です。
 ここで、以下の解説にある「語頭・語末」と言うときの「語」の範囲について注意する必要があります。ドイツ語では形態素と形態素が結合して表記上非常に長い複合語が形成されることがよくありますが、形態素間の境界で音韻が相互作用して新たな音韻が形成される(あるいは一部の音韻が消失する)ことは、母音で始まる接尾辞・活用語尾が後続する場合を除いてまったくありません。たとえ子音で終わる形態素の直後に母音で始まる形態素が続いたとしても、単語間のみならず、複合語の内部であっても、英語のように続けて発音はされず、声門の閉鎖を挟んで別々に発音されます。そこで、以下の解説の「語」とは、空白によって区切られた表面上の単語ではなく、「形態素(+母音で始まる接尾辞・活用語尾)」と定義します。
 それではまず、ドイツ語の子音について解説します。
 ドイツ語の子音で英語と表記・発音ともに共通しているものに、"p" [p](プ)・"b" [b](ブ)・"t" [t](ト)・"d" [d](ド)・"k" [k](ク)・"g" [ɡ](グ)・"m" [m](ム)・"n" [n](ヌ)・"ng" [ŋ](ング)・"f" [f](フ)・"l" [l](ル)があります。表記が異なるが発音が共通しているものに、"w" [v](ヴ)・"z" [ts](ツ)・"sch" [ʃ](シ)・"tsch" [](チ)・"j" [j](イ)があります。
 英語では普通に出現する子音のうち、[ʒ](ジ)・[](ヂ)・[w](ウ)は外来語にのみ出現します。英語では "th" で表記される [θ](ス)・[ð](ズ)は、外来語には出現しますが、[s, z]として発音されることもあります。
 "s" は、語頭で母音が続く場合と、語中で母音に挟まれた場合は [z](ズ)、それ以外の位置では [s](ス)と発音されます。母音間で [s] と発音される場合は "ss" と表記しますが、直前の母音が長母音の場合は、ドイツ語特有の文字 "ß"(エスツェット)を用います。
 ただし、語頭の "sp, st" においては、"s" は [ʃ] と発音されます。それ以外にも、語源上 "s"+子音で始まっていた語は現代では "sch-" と表記されて [ʃ] と発音されており、現代ドイツ語には外来語を除いて [s] で始まる語が存在しません。
 "r" は、母音が続くか母音に挟まれた場合は、[ɡ] の位置での摩擦音 [ʁ] になります。この音は、西ヨーロッパではドイツ語とフランス語にのみ出現するもので、日本人の耳にはガ行のように聞こえることもありますが、本稿では慣例に基づいてラ行で表記することにします。母音の直後で語末か子音の直前の場合は英語と同じ [r] と発音されますが、実際は母音として発音されることが多いので、詳細は後述します。
 "v" は、ドイツ語固有の語では [f]、ラテン語由来の語や外来語では [v] と発音されます。"qu" は "k+w" と解釈され、[kv](クヴ)と発音されます。
 "h" は、語頭では英語と同じく [h] と発音されます。母音の直後では "h" は母音を長母音にする記号であり、その直後に母音があっても [h] とは発音されません。子音の直後では、"ph" が [f] と発音されるように、別の子音に変化させる場合もありますが、"th, rh" は "t, r" と同じように発音されます。
 "ch" は、後舌母音 [a, o, u](後述)の直後では [x](ハ)、それ以外の位置では [ç](ヒ)と発音されます。"chs" は [ks](クス)と発音されますが、"ch" で終わる語幹に "s" で始まる接尾辞・活用語尾が続いた場合は "ch"+"s" のように発音されます。
 ドイツ語には長母音は存在しますが、日本語の促音に相当する長子音は存在しません。表記上ふたつの同じ子音字が重ねられた場合でも、ひとつの短子音として発音されます。ただし、後述するように、子音字がひとつであるかふたつであるかということは、その直前の母音の長短を決定するということにおいて重要です。
 語末や無声子音の直前では、有声子音字 "b, d, g, s, v" は対応する無声子音 [p, t, k, s, f] として発音されます。ただし、"ig" で終わる語の "g" は [ç] と発音されます。これらの音は、母音で始まる活用語尾が続くことによって語末でなくなると、本来の発音 [b, d, ɡ, z, v] に戻ります。
 次に、ドイツ語の母音について解説します。
 ドイツ語の単母音は、大まかに言って8つあります。そのうちの5つは、他の言語でも一般的な "a" [a](ア)・"e" [e](エ)・"i" [i](イ)・"o" [o](オ)・"u" [u](ウ)で、[u] が唇を丸めて発音する以外は日本語とほぼ同様に発音されます。[e, i] を前舌母音、[a, o, u] を後舌母音といいます。
 他の3つは後舌母音 [a, o, u] が口構えをそのままに舌構えだけを前寄りにした「ウムラウト母音」と呼ばれるもので、"ä, ö, ü" と表記されます。"ä" は [ɛ](広口のエ)と発音されます。"ö, ü" [œ, y] は日本語や英語には存在しない発音で、[œ] は「エ」、[y] は「ユ」に近く聞こえます。
 これらの8つの母音には、それぞれ短母音と長母音が存在します。母音字がふたつ重ねられた場合("i" は "ie")と、母音字の後に "h" が表記された場合は、必ず長音になります。また、原則的に母音字の後に子音字(「子音」ではないことに注意)がひとつあるかひとつもない場合は長音、ふたつ以上ある場合は短音になります。
 "e, i, o, u, ö, ü" は、短音の場合はやや広口に、長音の場合はやや狭口に発音されます。音声記号では正確には、短音は [ɛ, ɪ, ɔ, ʊ, œ, ʏ]、長音は [eː, iː, oː, uː, øː, yː] と表記されます。"a, ä" は、短音でも長音でもほぼ同じ音色です。"e" の短音と "ä" は発音が同じになります。
 ただし、厳密に言えば、
・語の基本形において長母音である母音は、直後に複数の子音字が続く活用形においても、長母音のままである。
・"ch, sch" 等、複数の文字で表記される子音が直後に続く母音は、語によって長短いずれにもなりえる。
・"r"+子音字等、一部の子音群が直後に続く母音は、語によって長母音の場合もある。
・ラテン語・ギリシア語由来の語や外来語では、アクセントがなく、直後の子音字がひとつ以下か語頭に立ちえる子音群である母音は、狭口の短母音になる。
・ドイツ語固有の接尾辞に含まれる "e" 以外の母音は、直後の子音字がひとつ以下であっても、広口の短母音になる。
などといった細かい規則や例外があります。
 ドイツ語の重母音は、"ei, ai" [](アイ)・"au" [](アウ)・"eu, äu" [ɔʏ](オイ)の3つです。特に "eu" [ɔʏ] は、綴り字と発音との乖離が大きい、ドイツ語を象徴するような発音のひとつです。
 上記の母音の他に、曖昧母音と母音化Rというふたつの母音があります。母音字 "e" は、アクセントを持たない接尾辞・活用語尾や "e" で終わる接頭辞においては、口構えも舌構えも中くらいの曖昧母音 [ə] になります。ただし、日本人の耳には曖昧母音になっても「エ」に近く聞こえます。
 子音字 "r" は、現代ドイツ語では [a] 以外の母音の後では、[a] よりも狭口で曖昧母音よりも広口の中舌母音 [ɐ] になります。日本人の耳には「ア」に近く聞こえます。曖昧母音 [ə] の後では融合して [ɐ] のみになり、英語の "er" のような発音になります。ただし、古典的な演劇や歌唱においては、"r" は母音化しません。
 ここで、例を挙げましょう。下記の文は、ベートーベンの交響曲第9番の一節で、一般に「1番の歌詞」と認識されている有名な部分です(実際はそれよりも前に若干の詩文が存在します)。句読点の位置を若干調整しています。括弧内は私による簡約です。
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Freude, schöner Götterfunken, Tochter aus Elysium.
(歓喜よ、美しき神々の閃光よ、楽園より来るものよ)
Wir betreten feuertrunken Himmlische, dein Heiligtum.
(我らは炎のごとく陶酔し、いと高き汝の聖域に踏み入れよう)
Deine Zauber binden wieder, was die Mode streng geteilt.
(世の世知に引き裂かれたるものどもを、汝の魔力は再び結びつける)
Alle Menschen werden Brüder, wo dein sanfter Flügel weilt.
(汝の柔らかなる翼の憩うところ、人々はみな兄弟となる)
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 なお、ドイツ語では全ての名詞を大文字で書き始めます。上記の文は、一見固有名詞が多いように見えますが、実際は "Elysium"(ギリシア神話の楽園エリュシオン)のみが固有名詞です。
 これを(古典歌唱ではなく)現代ドイツ語の音韻に従って国際音声記号と近似の片仮名(日本語におけるドイツ語の外来語表記にほぼ同じ)で表現すると、以下のようになります。
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[fʁɔʏdə ʃøːnɐ ɡœtɐfʊnkən tɔxtɐ aʊs elýːziʊm]
フロイデ シェーナー ゲターフンケン トホター アウス エリュージウム
[viːɐ bətʁéːtən fɔʏɐtʁʊnkən hɪmlɪʃə daɪn haɪlɪçtuːm]
ヴィーア ベトレーテン フォイアートルンケン ヒムリシェ ダイン ハイリヒトゥーム
[daɪnə tsaʊbɐ bɪndən viːdɐ vas diː moːdə ʃtʁɛŋ ɡətáɪlt]
ダイネ ツァウバー ビンデン ヴィーダー ヴァス ディー モーデ シュトレング ゲタイルト
[alə mɛnʃən vɛɐdən bʁyːdɐ voː daɪn zanftɐ flyːɡəl waɪlt]
アレ メンシェン ヴェアデン ブリューダー ヴォー ダイン ザンフター フリューゲル ヴァイルト
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 なお、ドイツ語では一般に語の第1音節にアクセントがあります。ただし、ラテン語・ギリシア語由来の語や外来語ではそれ以外の音節にアクセントがある場合があります。アクセントがない接頭辞もあります。上記の音声記号では、第1音節以外の音節にアクセントがある場合のみ、アクセント符号を付加しています。
 次回は、ドイツ語の音韻に平仮名・片仮名を適用する規則について解説します。


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